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難民であっても強制送還は可能!? その① 

難民基礎知識

*以下法学に関する知識の浅い素人の考えなので、どなたか詳しいかたがいらっしゃれば解説をお願いします。

 「難民は強制送還してはいけない」っていうのは、もはや難民問題を扱う人の間では合言葉のようになっています。しかし実際には難民認定された人であっても退去強制手続きが進行していれば法律上は強制送還することが可能です。(他の国のケースは分かりませんが、少なくとも日本においては可能です。)これには大きく分けて二つの要因が関係しています。まず一つがノン・ルフルマン原則に関わる本質的問題、そしてもう一つが難民認定申請手続と退去強制手続の二つの手続に関する問題です。
 ノン・ルフルマンの法則はしばしば「難民を強制送還してはならない法則」として理解されていますが、厳密にはちょっと違います。ノン・ルフルマン原則とは「いかなる人も迫害の恐れのある国・地域に送り返してはならない」という法則なので、原理的には①難民認定審査手続とは別の原理1であり、②迫害の恐れがある場合でも迫害の恐れのない第三国になら強制送還することもできます2。さらにこの解釈を用いることで「迫害の恐れがある人であっても難民として認めないこと」が可能になりますし、「難民認定された難民であっても、迫害されていない場所になら送り返すことができる」ことになります。前者についてもう少し補足すると、これは迫害の恐れがある人を万一難民認定しなかったとしても、その人は強制送還される最に、もう一度ノン・ルフルマン原則に基づいて迫害のない国に強制送還されることを主張できるのであるから(そしてもし本当に迫害の恐れが認められれば、日本政府はたとえ強制送還する場合でも迫害の恐れのない国に送還するから)難民認定できなくても問題がないという論理です。(もっとも実際には難民認定されなかった時点で強制送還の時も迫害の恐れ無しとして本国に送還されますから、これは完全に法務省の詭弁です。)後者についてはそのまま、難民であっても強制送還自体は可能(あくまで迫害のある国には送り返さないというのがノン・ルフルマンの意義であるとする)というものです。殆ど本質を無視した屁理屈としか言えないっていうのが正直な感想ですが、驚くべきかな、現実に法務省は行政裁判でこのような法解釈をしているのです。
(続く・・・次回更新日は未定)

1 難民認定は「本国で迫害される恐れがある難民を国民国家が保護する権利」に基づいて作られているのであって、ノン・ルフルマン原則とは同じ問題を違う側面から扱っている。
2 例えば戦後の朝鮮半島からの密入国者がどちらかの国での迫害を主張した場合に、迫害の恐れのない国に送り返した事例や、紛争地域の中に国連軍が安全地帯を作り、そこに難民を送還した事例などが、迫害の恐れのない地域に強制送還した例として挙げられる。

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難民と古典②――ジョン・ロック『統治二論』(その2)―― 

先行研究

 社会契約論の意義は、文字通り国家による統治が社会契約に基づくものであるとすることにあります。ジョン・ロックの社会契約論の場合で言えば、人々はより効率的に自身のプロパティ(個人の持つ権利や財産の総体)を保全するために、元来自分自身が持っている権力を統治者に委託する契約を結んでいることになります。ですから国家は当然のことながら、契約をきちんと履行する義務が有り、委託された権力は人々のプロパティを守るためにのみ行使されなければなりません。
 このようなロックの社会契約論の視点に立った場合、幾つかの点で絶対王政やホッブスの議論ではありえなかった論理が成立します。一つが“国家に対して抵抗する権利”、そしてもう一つが“不当な統治から逃れてきた人々を保護する風潮”です
まず一つ目の抵抗権についてですが、これは国家が契約を順守していないときに認められます。先述したように、社会契約論の論理では国家の持つ統治権力は人々が自己の権力を信託した結果として成立します。このため、万が一にも国家が人々の信頼を裏切り、委託された権力を行使して人々のプロパティを侵害するようなことが有れば、人々は自らの手に権力を取り戻して、より妥当な統治機構に権力を預け直すことができなければなりません。ロックの社会契約論に基づけば “不当な統治に抵抗する権利”は人々が持つ当然の権利であり、正しく機能していない国家権力に対して抵抗する事は、たとえ当該国家が抵抗運動を犯罪として弾圧しようとも、正当な行為と見なされます。「政治犯罪」と今日我々が呼ぶものは、このような考えから一般の犯罪とは区別されるのです。
 そうはいっても、国家に抵抗することは簡単なことではありません。通常国家は一度預けられた権力を保持し続けようとしますから、不当な統治に抵抗する人々は国内では犯罪者・反逆者として扱われます。しかし、他国から見た場合にはどうでしょうか?社会契約論に基づいて建設された国家は、国民に自らの正当性を示し続ける必要がありますから、不当な支配に抵抗する人々がいれば、彼らを支持しなければなりません。(不当な国家の方を支持することは、社会契約論の前提そのものを否定する事になるため。)それゆえ、このような政治犯が本国で迫害を受けて逃亡してきた場合には、彼らを本国政府の追及から守り、自国内で庇護する事が、自国の統治の正当性を示すことに繋がります。このような考え方から近代社会では政治犯罪を特殊なものと見なし、政治犯が国外に逃亡した場合には、これを庇護することが考えられるようになりました。これこそが今日の難民庇護原則の底流をなすものです。
(続く・・・次回は9月15日です。)

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お詫び(8月25日):更新が一週間遅れます。 

未分類

本日アップする予定だった記事ですが、手元に参考文献がないために書けなくなってしまいました。大変申し訳ありませんが更新予定日を一週間遅らせ、来週の火曜日(9月1日)とさせていただきます。

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難民と古典①――ジョン・ロック『統治二論』(その1)―― 

先行研究

 難民問題を考える上で避けては通れないものの一つが、西洋の政治思想です。難民は有史以来ずっと存在してきましたが、彼らが「難民」として認知され、しかも庇護が与えられるべきだと考えられるようになったのは、せいぜいここ200~300年の間です。何故難民は他の移民と違って庇護されなければならないのか?そのアイデアの源泉は西洋の思想の中に辿ることができます。ここでは幾つかの文献に触れながら、西洋における難民保護の思想的系譜を辿りたいと思います。
 難民問題を考える上で非常に重要なターニングポイントの一つが、17世紀~18世紀にかけて起こった、国家権力に関する論争です。この時期ヨーロッパは絶対王政から市民社会への移行期にあり、如何にして絶対王政を擁護するか、あるいは如何にして絶対王政を批判し、民主的な市民社会を正当化するかが問題になっていました。その中で王権神授説や社会契約論といった様々な国家理論が生み出されてくるわけですが、この中でも特に難民問題にとって重要なのが、ジョン・ロックが提唱した社会契約論でした1
 ロックはその著作『統治二論』(原題:Two Treaties Of Government)の中で王権神授説を批判するとともに、何故国家が必要なのかを社会契約の観点から書いています。彼の理論によれば人間は自然状態(国家も何も存在せず、各人が自由に好きなことをしていい世界)では全員が自由であると共に平等であり、人々は相互に権力を持っている状態にあります。全ての人は自分の命や財産を守る権利が有り、それを守る範囲内で、他人に権力を行使したり罪を犯した人を罰する権利が与えられていますが、特定の人が他の人より強い権力を持っていたり、一方的に相手に権力を行使していることはありません。
 しかしこのように人間が相互に権力を持ち、それを行使することが可能な場合、ささやかないざこざであっても、裁定者がいないために終わりのない争いになりかねません。このため、人間が自然状態で与えられているような自由や権利を効率よく保持するためには、社会に属してより上位の権力を持った裁定者に統治を信託することが必要になります。これこそが人間が社会を作り、統治権力を認める理由なのです。(あくまでこれはロックの理論ですが。)
(続く・・・次回は8月24日です。)

1 社会契約論自体はロック以外にもホッブスやルソーらによって論じられていますが、議論の展開は論者によってかなり異なっています。ここでロックの社会契約論について述べています。

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日本から出て行った難民?③ 

こぼれ話

 アメリカに移住した彼らが本当に難民だったのかといったことはさして重要ではありません。(インターネット上の情報によれば、より“難民らしく”見えるように炭小屋を自宅だと偽った申請者もいたそうです。)ここで重要なのはかつて日本にも難民庇護制度を手段として利用していた時期があったということです。今日の出入国管理ではいかにして「真の難民」だけを正確に保護し、本来の目的を偽って入国してくる「偽装難民」を排除するかが重視されています。しかし、かつて我々自身がそうであったように、一口に難民といっても、実際には多様な動機、目的を持っています。本国における政治的迫害から出国先も選べずに一目散に逃げてきた人もいれば、本国における迫害を先進国への移住のためのパスとして利用する人もいます。あるいはまったく迫害などの事実が存在しないにもかかわらず滞在の手段として難民認定申請をする人もいますし、逆に迫害から逃げてきたのに難民申請をしない/できない人だっています。
 「難民であるということ」と、「難民庇護制度を利用すること」、そして「移住先でやろうとすること」は常に連動するわけではありません。通常移動の理由や目的は極めて複合的であり、移民が複数の動機(例えば“迫害からも逃れたい”し“豊かにもなりたい”など)に基づいて渡来することは珍しくありません。このような人々をどのように扱うかは難しい問題ですが、少なくとも「難民だからこうあるはずだ」といったモデルケースを策定してしまうことは避けるべきです。
 かつて“難民として”国民を送り出してきた日本が、今は逆に流入する“難民”を偽装難民でないかと疑いの目で見ています。もちろん流入する庇護希望者の中には、明らかに難民ではない人もいるでしょうし、難民性があっても国家が庇護するほどではない人もいるでしょう。しかし当初から有るべき難民の姿というものを想定し、そこに引っかからない多種多様な人々を“難民ではない”と断定してしまうのはやや尚早です。日本人にも色々いるように、難民も色々いるわけです。そのような多様性を踏まえた上で、個々のケースを柔軟に解釈することこそが理想なのではないでしょうか。
(次回は8月11日です。)

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